読書の思い出

 この自粛期間中150冊くらい本を買った。本棚に収まらなくなったので、床に山積みになっている。本の重さで床が抜けたという伝説がある井上ひさしには、まだ遠く及ばないが、それにしても邪魔だ。

 現代の東京のように、敷地面積が狭いなら高く積めばいいと、本を高層ビルのように細く高くひとつにまとめたが、すごく怖い。軽く手があたっただけで倒れてきそうだ。こんな耐震構造のない高層ビルの横では、うとうと寝ることもできない。仕方なく、安全な高さに分けたが、これでは高層ビルではなくて、団地だ。

 

 私が本を読みだしたのは、中3くらいからだったと思う。別に本を読むのが好きだったわけではない。実をいうと、今もたいして好きではない。尊敬している人が本をたくさん読むので、私も真似しようというくらいの感じだ。暇だから読むかという時もある。

 高校1年のとき、6限目の授業が終わり、帰りのホームルームが始まるまでの数分、本を読んでいたら、それを見ていた担任に大々的に褒められた。

「みんなが無駄におしゃべりしている間、じん(私の呼称)は本を読んで勉強してたよ。すごい偉い。みんなも見習いなさい。」

 泣きそうになった。もちろん嬉し泣きではない。そりゃ私だって、出来るならみんなと無駄におしゃべりがしたかった。その相手がいないからひとりで本を読んでいたのに。ベテランの先生になってくると、こういう繊細な思春期の気持ちが理解できなくなってくるのだろうか。それとも、理解したうえでイジってきたのだろうか。どちらにせよ、みんなは私の読書の内情を理解していた。その空気はビンビン伝わってくる。私は、とっさに読んでいた相田みつをの『生きていてよかった』を机にしまった。なにが“生きていてよかった”だ。この時ばかりは、相田みつをの詩を信じられなかった。

「アノネ がんばんなくてもいいからさ 具体的に 動くことだね」みつを

 教えてください。私はこの時、具体的にどう動けばよかったのですか?